板垣二郎医師により76床の「板垣病院」として、釧路管内で最初の精神病院として、設立された。
板垣医師の健康上の理由により、昭和52年9月に田中 至医師が経営を引き継ぎ「田中病院」と改称する。
田中病院新築工事竣工。新病院での診療開始する。
増床が認められ 108床となる。(76床→108床)
田中 至院長が急逝し難波定喜医師が院長就任し田中病院の診療にあたる。
田中元院長の甥にあたる長谷川 勝医師が院長に就任。
田中病院の経営を長谷川院長が引き継ぐ。
病院の名称を「田中病院」から「釧路優心病院」に改称する。
家族会の母体は昭和49年に遡るが、更なる活動のため、釧路優心病院家族会として平成5年11月発足。平成15年12月現在、会員数45名にて、行事への参加・協力、家族会だよりの発行、家族学習会の開催等の活動を行っている。
地域で生活する精神障害者の自助グループとして、メンバー相互間の親交・理解、また行楽・行事などを通して、社会復帰、職場復帰へのよりどころとすることを目的に発足。平成15年12月現在、会員数52名にて確実に社会参加、社会復帰が進んでおり、会員数も増加しています。
患者家族会の活発な活動に対して、北海道精神保健協会長より表彰される。
永年にわたる地域活動の成果により、精神障害に関する社会復帰や自立に向けた活動や関係機関などへの協力等を通じた精神保健の普及活動など地域の精神保健福祉事業の発展に寄与した功績で、大楽毛5丁目町内会(大西 博一会長)が北海道精神保健協会長より表彰される。
新病院での診療開始。病床の半数以上を個室にして減床した。(108床→97床)
(昭和60年から平成24年まで使用していた旧病院;平成15年12月25日撮影)